2011年10月17日月曜日

次回の哲学カフェを11/5(土)に開催します。

次回の哲学カフェを11月5日(土)15:00-17:00に行います。
たくさんの方の参加をお待ちしております。

・テーマ:当日決定します。
※参加される方に話してみたいテーマを尋ねますので、
話したいことを考えてきてもらえると助かります。

・料金
ドリンク代のみ(併設されたカフェで、オーダーをお願いいたします。)

・会場
場所:小金井アートスポット シャト-2F(前回と同じ場所です)
(JR 中央線武蔵小金井駅南口から徒歩5分)
地図は「アクセス」のページをご覧ください。

参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。
(大体の人数を把握することが目的ですので、本名でなくてもかまいません)

お問い合わせ:koganei.philosophycafe@gmail.com

「メタ哲学カフェ」を終えて

小金井哲学カフェ進行役のやまもとと申します。

先日実施した「メタ哲学カフェ」について、進行役からの感想を簡単にまとめておきます。
なお、議事録については過去の記事をご覧ください。

今回の実感として、まず「メタ哲学カフェは十分に成り立つ」ということを感じました。
今回はいつもより一層、進行役が対話に介入することを避けましたが、
それでも、哲学カフェそのものに関して、多様な視点から対話がなされたように思います。

また、普段はあまり聞くことのできない、参加者や進行役経験者の意見や感想を
聞けたことは私たち開催者にとっても、大きな収穫だったように思います。

しかし、同時に「メタ哲学カフェ」の限界も強く感じました。
まず、参加者は基本的に哲学カフェに(程度の差はあれ)共感している方しか集まりません。
そのため哲学カフェに対して批判的な意見はあまりありませんでした。

加えて、そもそもこのような活動に興味のない方の意見は、
哲学カフェという場では聞くことができません。
「哲学カフェ」という場の意義を考えるときに、
このような声をいかにして取り込むか、ということが大きな問題になりうると思います。

(例えば、今回、あまり深く議論できませんでしたが、ある参加者の
「哲学カフェの話をほかの人にすると、
そんなところに来る人は不幸な人々の集まりなのでは、といわれる」
という発言が強く印象に残っています。)

今後、機会を改めて「メタ哲学カフェ」を再度実施する予定です。
「哲学」を名乗る以上、私たち小金井哲学カフェは、
「哲学カフェの「何が」哲学なのか」、ということをこれからも考え続けたいと思います。

これからも小金井哲学カフェにおつきあいくださるようお願いします。

小金井哲学カフェ やまもと

2011年10月10日月曜日

10/10 哲学カフェ議事録

今回の対話の内容を公開します。
ツイッター上の内容に追加でコメントなどを加えています。


posted at 14:53:56
今日のテーマは「メタ哲学カフェ」。
「哲学カフェについての哲学カフェ」という意味です。
posted at 15:05:35
(注:今回は最終的に9名の方にお越しいただきました。
このうち、哲学カフェを進行・運営されている方が2人、
哲学カフェ自体に初参加の人が3人、
哲学カフェ参加経験者が4人でした。)

進行役:まずは初参加の人に意見を伺いたいと思います。
初めて参加の方、哲学カフェにどういう動機で参加されたのでしょうか。
(初参加の方はこの時点では2人、それぞれに意見を聞いた)
posted at 15:09:55
A:自分で哲学的なことを考えるようになり、ほかの人の意見も聞いてみたいなと思ってきました。
posted at 15:10:41
B:哲学系の啓蒙書を読みながら、ほかの方がどういったことを考えているのかなと。、
posted at 15:11:40
進行役:この二人の意見に対して、何か思うことはあるか?

C:少し関係ないが、「哲学」という名を出すことへの危惧がある。知識をひけらかす人がいて、がっかりしてしまうことがある。
posted at 15:13:07
D:専門用語を使わない哲学カフェ、大阪ではじめたと聞いて知ってはいた。哲学者の言葉を勉強することが哲学ではないのでは。「哲学」という名をつけることで、どんなことをしゃべっても許されるんではないかという安心感があるのではないか。
posted at 15:15:49
進行役:どういうときが面白い哲学カフェか、体験談があれば。
posted at 15:17:09
E:自分とは違う意見があったとき。そこはそう考えるのかという発見がある。
posted at 15:17:30
D:全く違う人からいろんな意見が出たとき。全く知らない人と突っ込んだ議論ができる。
posted at 15:18:22
進行役:逆におもしろくなかった哲学カフェにまつわる経験はあるでしょうか。
posted at 15:18:47
E:自分とあまりに考え方が違いすぎて、理解できないことがある。

F:幕の内弁当のように、ちょこっとずつ議論が出てくる、ひとつの幹に集約したときはいいが、食い散らかした感じになるとき。
posted at 15:22:18
G:それぞれの論点を深められたときは、面白い。
posted at 15:22:42
進行役:おしゃべりと、哲学カフェはどう違うのか。
posted at 15:22:55
E:おしゃべりのときは話す内容自体は目的ではない。哲学カフェはどこかに向かっているような感じがする。
posted at 15:24:50
F:おしゃべりは、「ふーん」で終わってしまう。それとは違い、他人の考えを聞いて、どうしてそういう考えになるんですか、どうして違うのか、そこに突っ込んで議論になるようなものが哲学的な会話。
posted at 15:26:23
D:哲学カフェは相手がどんな人格か、全くわからない。相手のお名前も知らなくても議論ができる。
posted at 15:27:47
C:哲学カフェは、意見をまとめるというよりは、もやもやしたものを持って帰るものなのではないか。
posted at 15:28:36
F:確かに必ずしもひとつの意見に収斂していくものではない。
posted at 15:29:03
F:素性がわかっている人同士でも哲学的な議論は成り立つのではないか。
posted at 15:29:59
D:知っている相手でなければ、相手に気を使う必要がない。自分の意見を自覚することができる。
posted at 15:31:27
G:哲学カフェでは、何でもしゃべれる保障があるように思える、なぜ「哲学」でなければならなかったのか。
posted at 15:32:01
D:カウンセリングとは違う、自分自身で解決するための「哲学」。
posted at 15:33:47
D:言葉によって自分が生きているという実感を得られる。
posted at 15:34:13
F:「カントがこう言っていた」というのは知識の押し売りなのだろうか。哲学的な知識として身に付けてもいいんではないかという意見もあると思う。
posted at 15:35:21
C:哲学者の発言をもちいることについて、ある程度自分のものとして咀嚼されていればいいかもしれないが、本人が意図していなくても、相手が萎縮する可能性があるのではないか。
posted at 15:37:24
D:哲学者の言葉について、長く生きてくるとわかることが、先人の言葉でうまくまとめられることもある。ただ、勉強してない、知らない自分と相手を比較する必要はない。たまたまその人の考えていたことと先人の言葉が一致したというだけ。
posted at 15:39:54
G:哲学のイメージの調査についてアンケート調査を行なった。哲学者の言葉は難しくて、よそよそしいというイメージ。
posted at 15:41:12
G:哲学については、よく考え込まれた思考が「答え」のようなイメージがある。カントは、自由についてものすごく考えている人というだけなのだが。
posted at 15:43:20
A:ある言葉、キーワードがどういう意味をもっているのかをわかるのは後で自分で勉強を深めるためにうれしいということはある。
posted at 15:44:43
F:カントの自由の考え方について語ることもできるが、そもそもカントはなんで自由を語ったのかというもう一つ深い議論も哲学カフェではできる。
posted at 15:45:24
G:本読むのも他人の意見を聞くことだが、こうして話すことの意義は何か。すぐにレスポンスがあることはひとつあると思うが。
posted at 15:46:36
E:本を読むときは明確な目的をもっているのでは。哲学カフェには何か明確な目的をもってきているか。
posted at 15:47:07
E:哲学カフェでは、他人の意見がわからなくても一度投げてしまってもいい。
posted at 15:47:38
D:話す訓練の場でもある。2回目、3回目来たときを見据えつつ、相手の気持ちをわかるために。
posted at 15:50:43
D:ルールがあるから安心できる。しゃべらないで聞いているだけでもいい。
posted at 15:52:00
F:二つの側面。哲学カフェで受動的に聞くだけだとしても、本では得られない思わぬ出会いがある。また、本で読んだり、話を聞いて、それについて意見を吐き出せる場でもある。
posted at 15:54:16
H:話し言葉は意味がつかみづらい。その場で考えて、考えを組み立てて。対話は体力勝負だということに気づいた。最後は頭が回らない。本は何度も立ち止れるが。
posted at 15:56:06
G:2時間以上やるとファシリテーターの集中力がもたないようなことはある。
posted at 15:56:42
B:ひとりのときは固定概念からは絶対でられない。ニーチェは読むけど、カントは読まない。
posted at 15:57:44
F:2chとは何が違うのか。インターネット上の匿名の場。気に入らなければレスポンスをしなくてもいい。
posted at 15:59:37
F:フェイストゥーフェイスだと、意見が違うとしても逃げられない。それを認めないといけない。
posted at 16:00:15
F:ネットだと時間的制約もないからだらだらと続いてしまう。
posted at 16:02:13
記録者:哲学カフェにどんな人に来て欲しいか。
posted at 16:02:37
I:偉そうじゃない人。哲学者の言葉を要約しない人。
posted at 16:04:39
A:普段は非常に偏った人としか付き合っていない。いろんな職業の人と意見を語り合いたい。
posted at 16:05:05
I:本を読むよりも、話すことで考えが活性化する。
posted at 16:06:42
G:専門用語を使わない方がいいのだが、定義がしっかりしている専門用語の方が共通理解からスタートできるから近道かもしれない。
posted at 16:11:02
G:法学について語るカフェを見に行ったが、日常用語と全然違う意味をもった専門用語を使った法学の議論から抜けられないでいた。
posted at 16:12:17
C:もやもやしたものを抱えて来ている人が集まってほしい。
posted at 16:13:05
G:自分の意見が正しいということを根本的に考え直す機会を与えてくれるようなひと。
posted at 16:14:00
F:哲学カフェにも知識がある大学人がいて、違う世界へ連れていってくれるようなこともあるかもしれない。
posted at 16:14:44
G:日本のサイエンスカフェでは、ただのセミナーにならないようなバランスが難しい。素人でも専門家と対話ができることが必要。哲学カフェも同じ。
posted at 16:16:56
G:哲学カフェは、政治やサイエンスカフェと何が違うのか。
posted at 16:20:02
D:悲しい人、さみしい人が集まっているのではないかと言われた。哲学カフェのことをどう説明すればいいのか。

進行役:学校で哲学カフェをやりたいという話があった。道徳の授業と哲学カフェの違いは何か。
posted at 16:22:24
F:学校の中で哲学カフェをやるときの問題点。生徒は教師が、親が期待する答えしか言わないのではないか。
posted at 16:24:06
G:ほんとになんでも有りだと困るよねという意見もある。しかし道徳の授業で、規則は規則だ、決まりは決まりだと言われて身につくのか。哲学的に考える中で、ある程度腑に落ちたことで身につくこともあるのではないか。
posted at 16:25:16
F:個人の匿名性が守られている哲学カフェ。成績がつく学校教育。教育の中で哲学カフェを考えることの難しさがある。
posted at 16:26:30
進行役:哲学カフェでの発言は本当に自由か。哲学カフェで、極端な意見を聞いたことがない。
posted at 16:27:56
F:暗黙の自制心を要求されていることはある。例えば、生々しい性行為の情景。
posted at 16:30:09
E:被災地での被災者が集う哲学カフェから哲学カフェを知った。ただ、その場でも被災者はお互いを気遣って、自分はそんなに被災していないというようなことを言っていた。
posted at 16:31:17
進行役:哲学カフェはおしゃべりの域を出ていないのではないか。専門用語を使わない、近道を通らない、毎回参加者が違うということで、議論が毎回深まらずに終わってしまうような印象もある。
posted at 16:32:36
C:毎回違う人とやることで思いがけないことが起こることもあるかもしれない。
posted at 16:34:22
H:おしゃべりとあまり変わらない気持ちで臨んでいる。
posted at 16:34:42
A:刺激を受けて、本を読んだりして深めていくようなことはある。

F:進行役としてもそういったことを望んでいるような面がある。自分自身もテーマを与えられることで勉強する機会をえている。
posted at 16:34:58
G:これだけの人数から2時間という枠で刺激を与えられることには、本にはないものがあるのではないか。
posted at 16:37:45
D:自由など何かテーマについて、自分の中で考えるためのエネルギー。自分の言っていることに責任をもつ強さを哲学から教えてもらう。
posted at 16:40:21
F:哲学カフェは2時間でたくさんの刺激があるというメリットはあるが、2時間だとテーマについて深堀できないというジレンマもある。批判者から見るとそこに限界があるかもしれない。
posted at 16:42:16
F:参加者が違った方面で知識をもってると、いろんな意見が出てくるのではないか。
posted at 16:44:43
G:専門用語で言わなくてもできる器量をもった大学人がなかなかいないのではないか。
posted at 16:46:24
H:哲学カフェで、議論の中で何がわからないのかもわからないことがある。何がわからなかったのかを特定できればいいのにと思う。
posted at 16:47:09
F:司会者の立場からすると、わからなかったときは言って欲しい。
posted at 16:49:21
F:どんなことを哲学カフェで議論したいか。
posted at 16:50:17
E:「教える」とはどういうことか。
posted at 16:50:28
I:自分の意見を相対化してしてしまうジレンマ。みんなそれぞれ正しいんじゃないのという。人それぞれなんだけど、わざわざ議論したいと思うのはなんでなのか。
posted at 16:53:01
I:表現しても意味ないかもしれないことを表現してしまうこと。
posted at 16:55:25
F:議論の根っこにある、賛成と反対に分かれるもとにある考え方は何か。例えば、原発に関する議論で賛成は功利主義的、反対は義務論的、互いがそういう立場に立っているんだということがわかることが哲学カフェのひとつの意義ではないか。
posted at 16:56:36
I:根っこまで議論を深めていくにはどうしたらいいのか。途中でどちらかが逃げてしまわずに。
posted at 16:57:59
G:例えば、「美しさ」は直感的なものか。でも、芥川賞の審査など、ある程度みてる人の間ではだいたい一致することもある。
posted at 17:01:29
今日は9名の方にお越しいただきました。様々な論点が出てきました、お集まりいただいた方、どうもありがとうございました。
posted at 17:02:29