2011年12月11日日曜日

12/11(日)小金井哲学カフェまとめ

 12/11(日)15~17時
小金井哲学カフェのまとめです。

本日のテーマは「迷う」です。

進行:最近の「迷う」経験から始めてもらいましょう。

A:旅行でどこに行くかで迷っている。時間とお金の制約がある。
近くて安くて、チケットが取りやすいところ。

B:結婚を考えるような相手が同時に二人いて、二人に同時に好意を寄せられた。どちらかを選ばなければならないが、どちらにも針がぴくりとも動かない。迷った挙句、一人を選ぼうとしたが、その瞬間に涙が出てきて、別の人と結婚することにした。 その後、結局離婚してしまった。

B:「サウンドオブミュージック」で、マリアが、トラップ大佐の婚約者を押しのけようとしない。
誠実な道を歩むことで幸せになれる。「迷う」ということを聞くと、その場面を思い浮かべる。

A:旅行は「行かない」という選択肢がある。「迷う」状況は似ているが、求婚されている場合は、
どちらかを選ばないといけないという義務感がある。
「迷う」は、選択後の結果がわからない状態。よかったかどうかは後でわかる。
選択肢が数字になってれば、わかりやすいのに。

進行:道に「迷う」っていう状態と、いま挙げてもらったような「迷う」とは何が違うのだろうか。

A:道に迷っている時の「迷う」は、目的地がある。結果は分かっているが、過程がわからない。

進行:選択肢すら見えない「迷う」がある。人生に迷っているといわれる状態など。
「迷う」っていうことに積極的な意味はあるのか。後から見たときに。

A:旅行に行ったということに関しては、どちらを選択しても後悔はない。
ある時間が経てば、結果が出る。
仕事を選ぶ、結婚相手を選ぶ、人生の大きな決断、選んだあともよかったかどうか、
いつまでも結果がわからない。

小休止、後半戦が始まりました。
posted at 16:00:51
 (CさんとDさんが加わる)
進行:最近迷っていることはありますか。

C:進路の悩み。

A:日本の場合は進路をある時期までに決めないといけないという傾向が強い。
E:迷う権利を奪われている?
A:決める段階で選択肢の詳細がわからない場合が多いのでは。
例えば、就職先の内実はわからない。そこしか内定をもらえなくて、選択せざるをえない場合もあるだろう。
海外だと、銀行マンになって、やっぱり向いていないと思って、エディターになるということもできる。
日本より、選択の時間が担保されている。

E:楽しい「迷う」時間はあるか。
A:旅行の行き先を迷うときは、どの選択肢をとっても楽しい。

進行:例えば、9対1でこちらの選択肢がいいと決めているのに、
それでも迷ってしまう時間があるのはなぜなのだろうか。

A:「迷う」は不確定要素があるから発生する状態。情報が全部手元にあれば、迷わないのではないか。9対1の場合も足りない情報があるかもしれないから迷っているのではないか。

進行:ロバのまえに、二つの干し草の山が同じ距離に同じ量ある。ロバはどちらも選べずに餓死するという思考実験がある。

五分五分の場合は、私たちはどうやって選択しているのだろうか。五分五分で決められないとき、サイコロを投げて決めたりする。

A:サイコロでは、自分で判断したという実感がもてない。納得できない。それなら直感で決めたほうが判断したという実感がもてる。

進行:情報が出揃った状態で「迷う」時間に意味はあるのか。

A:いますぐ決めるという場合と、一週間待ってから決める場合。選択にかかる時間は一週間のうちの結局5分かもしれないけど、一週間迷うことで自分や他人へのエクスキューズができる。

キャッチコピーをつくるのに、すぐに思いついても、寝かせるらしい。すぐ思いついたキャッチコピーを出しても、クライアントは評価してくれない。

D:同じ結果を得ているのに、迷っている人と迷っていない人がいる。迷っていたことに意味があったと思うことはできるか。

A:時間をかけて迷ったものの方がいいという社会のコンセンサスがあるのではないか。

本日の議論は以上です。計4名の方に集まっていただきました。


2011年11月9日水曜日

12/11に哲学カフェを開催します!

12/11に哲学カフェを開催します。
たくさんの方のご参加をお待ちしております。

・日時:12/11(日)15:00-17:00

・テーマ:「迷う」とはどういうことか?

・料金
ドリンク代のみ(併設されたカフェで、オーダーをお願いいたします。)

・会場
場所:小金井アートスポット シャト-2F
(JR 中央線武蔵小金井駅南口から徒歩5分)
地図は「アクセス」のページをご覧ください。

参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。
お名前を書いたら、「送信」ボタンをクリックしてください。
(大体の人数を把握することが目的ですので、本名でなくてもかまいません)


お問い合わせ:koganei.philosophycafe@gmail.com

2011年11月5日土曜日

11/5 哲学カフェ 記録

今回の哲学カフェの記録を載せておきます。
ツイッターでの配信に、コメントや補足を加えてあります。
今回はツイッター上でも意見がありました。

posted at 10:12:23
本日のテーマは、参加者のご意見を伺いつつ、決定します。
(今回は、「ごきげんよう」形式と名付け、「喜怒哀楽」の書かれた紙の上でルーレットを行なった)
参加者の一人にやってもらい、「喜」がでる。
posted at 14:45:58
最近喜ばしかったことからいきましょう。
(参加者の提案で、よんで欲しい名前があればいうことにした)
posted at 15:14:51
P(ポッキーさん):ある人の評価について話していたら、相手も同じことを考えていた。同じ人について同じような分析をしていた。
posted at 15:15:20
S:思いもかけない収入で、すごく落ち込んでいた自分が生き返った。お金じゃないと思っていたのに、意外だった。
posted at 15:19:02
B(ビールさん):あぶくぜにの使い方。苦労して稼いだ金なら計画的に使うのに。
posted at 15:20:27
P:自分で学費を払っている人と払っていない人で大学生活の過ごし方が違う。
posted at 15:20:54
A:銀行強盗のお金の使い方は競馬など、刹那的な気がする。
posted at 15:21:40
進行役:Sさんへ。もらったのがお金ではなく、別のものだったらどうか。例えばお菓子。

C:もらったのがお菓子じゃダメだった。やっぱお金だね。
posted at 15:22:34
A:お金じゃないよっていう言葉は逆説的。むしろ、お金だから、そういうことが言われる。
posted at 15:23:06
A:お金を積む。「積む」ということができるお金は特別。
posted at 15:24:05
P:ハーゲンダッツが3つ積んであったら、200円×3よりそちらをとるかも。
posted at 15:24:32:
S:世代的に精神的な豊かさを重視する教育を受けてきたように思う。
posted at 15:25:07
B:女の子には「イケメンだけど貧乏、不細工だけどお金持ち、どっちがいい?」となる。
posted at 15:26:07
B:女の人の方がお金にシビア。現実的か。男になら、「かわいくて性格が悪い、ぶすで性格がいい、どちらがいい?」となる。
posted at 15:27:03
S:女性は上書き保存。男性は名前を付けて保存。恋愛関係を男性は覚えている。
posted at 15:27:32
A:「勝ち組」という言葉からも、お金が尺度とされていることがわかる。
posted at 15:28:23
進行役:今日は、「お金」をテーマとしましょう。
posted at 15:28:57
進行役:お金で買えないもの。お金より大事なものがあるか。
posted at 15:29:14
進行役:精神的豊かさはお金と等価か。優劣がないか。
posted at 15:30:44
A:そもそも比較するものか。比較する場面はあるかもしれない。でも違う次元かもしれない。
posted at 15:31:30
C:お金の方が存在感がある。精神的豊かさは実感が弱い。
posted at 15:32:30
?:お金のやり取り自体が目的なんじゃないか。
posted at 15:33:55
C:ドストエフスキーに、お金と私、どちらをとるかという場面がよく出てくる。財産家に養ってもらうために結婚する。
posted at 15:35:15
P:お金は基本的に道具的価値しかない。交換のために形をもったもの。ところが、精神的な価値をもったものとしてお金をみてしまう。
posted at 15:36:44
P:お金自体には自然界で生きていくための価値がない。だからお金を燃やす場面が出てくるのでは。
posted at 15:37:22
A:お金を燃やすってタブーの行為という印象。
posted at 15:37:55
C:お金持ちが成功して勝ったという話ってない。
posted at 15:38:50
B:お金持ちが嫌いな人は多いか。お金持ちというフィルターをかけて近づいてしまう。
posted at 15:39:48
S:「お金持ちだ」ということに限らず、人と付き合うときは何かのフィルターをかけているのではないか。
ギャラリーフェイクという漫画で、貧乏人を憎むのは貧乏を経験した人だ、お金持ちは貧乏人を恨んだりしないというセリフがあった。
posted at 15:40:54
Bお金と言葉の類似点。お金が無機的な道具か。同じ300万円の価値なら、なぜロレックスを買うのか。
posted at 15:42:12
B:二重構造。お金も言葉も同じところに集まっていく。他の言語とやりとりできることがひとつの価値。
posted at 15:44:49
S:ほかのコミュニティとつながれる方が重視されるところが、似ている。ほかの人と関われることが似ている。
posted at 15:45:41
S:人生の価値は関わりじゃないかと思っている。そういう意味では、お金も言葉のやりとりも変わらない。
posted at 15:46:21
進行役:お金にも道具じゃないところがあるか。それを持つこと自体に精神的な価値があるか。
posted at 15:47:38
C:お金をもつことで優越感をもつ。
posted at 15:48:38
C:優越感を持つ人に軽蔑感をもっている。お金に貪欲、生理的に嫌な気がする。
posted at 15:50:19
P:お金を集めることに現世の役割をまっとうしている。プロテスタンティズムの精神を全うしている。一見お金に執着しているようにみえても、そうじゃないかもしれない。
posted at 15:52:16
S:ノブレスオブリージュ。お金持ちにはそうした役割を担うべきという考えもある。
posted at 15:54:24
A;欧米と日本ではお金持ちの程度が違うかもしれない。
posted at 15:55:35
S:お金は目的がないと執着してはいけないか。使う理由がなくても、貯める人はいる。
posted at 15:56:54
B:お金自体が権力のひとつの形態。子供を学校に行かせるのでもそう。国連などが、暴力ではなく経済的制裁に移っているのも、権力の表れが変遷しているのではないか。
posted at 15:58:00
S:嫌悪する人も大好きな人もお金に縛られている気がする。でも同じくらい精神的価値にも縛られている気がする。
posted at 15:59:34
S:ほんとは自由でいたい。自分の価値観からも自由でいたい。自分のやりたいように生きる人生はつまらない。
posted at 16:00:42
B:Sさんは、お金に無頓着。
S:貯蓄ゼロ。
posted at 16:01:31
S:保険、留学、将来への自分の投資も違和感を覚える。
B:指定校推薦もそう。なんというか、実存主義的な考え方とは違うのでは。
posted at 16:02:43
A:「将来の投資」といったときの投資もお金にまつわる言葉。
posted at 16:04:37
進行役:お金を貯めることで何を考えているのか。積極的な面はあるか。
posted at 16:05:21
A:いずれは役に立つかもしれないものへの「投資」。後ろめたさがある。
posted at 16:06:22
B:貯蓄と投資は分けるべきか。
posted at 16:06:59
C:投資の勉強会はいっぱいある。悪いイメージなんてないんじゃないか。
P:お金にただ執着するのも卑しいから、お金との付き合い方を考えているではないか。フィナンシャルプランナー。
(一旦ブレイク)
posted at 16:08:30
進行役:ツイッター上で、「精神的な価値とはそもそも何?」という問いがあった。
お金と精神的価値との関係について考えてみてはいかがでしょう。
posted at 16:16:09
進行役:精神的価値か物質的価値かで分けてみましょうか。
(ホワイトボードに2つを区切る)
posted at 16:19:04
進行役:ロレックスの腕時計はどうか。
A:ブランド品としての価値もあるが、防水機能とか、機能としては日本の時計と変わらないのに。これは精神的価値。
posted at 16:20:09
P:バーバリーの服と、ノーブランドの服。デザインが精神的。
A:しかし、デザインは機能から出てくるものもある。そうすると物質的な面もある。
posted at 16:21:25
P:現在流通している現金。と、記念硬貨、ギザ十、古銭。
posted at 16:22:45
S:単なるビール一リットルと、誰かと飲むビール、後者は精神的価値。
posted at 16:23:44
(物質的価値であがったもの)石油。デザインの気に入ってない制服。ビニール傘。コンビニのレジ袋、。いらなくなったらポイされるもの。100円均一の商品。
posted at 16:25:29
A:文芸作品はもっぱら精神的価値。
posted at 16:27:00
(精神的価値)大切な人から言われる「どうしたの?」という一言。親友。恋人。愚痴を聞いてもらう時間。
posted at 16:28:02
言葉。長電話。カラオケ。清潔感。
posted at 16:28:55
P:物質的価値は道具的価値と置き換えられるのではないか。
posted at 16:29:23
S:文芸作品は売れることで書き手のお腹を膨らますことがある。
posted at 16:30:19
A:物質的価値の項は、道具的価値に単純に置き換えられるものか。精神的な価値があることも道具としては使えるのではないか。
posted at 16:31:46
B:なくても生きていけるものとないと生きていけないものに分けられる。
P:でも「生きる」ことをどう定義するか。
A:心臓だけ動かすなら物質的。
S:豊かになって自殺率が高まることもある。
posted at 16:33:03
進行役:精神的価値の側は、付加価値でどうか。もともとは機能から生じたものに、付加価値がつく。
posted at 16:34:32
A:付加価値だけが常に付いてくるものなのか。
C:服を着る必要はあるか。哲学は付加価値か、それ自体が本体か。
posted at 16:36:03
D:価値自体が相対的で分けようがない。分け方に限界があるのでは。例えば、古いお金は、昔の価値といまの価値は違う。
posted at 16:37:16
B:物質的価値、精神的価値をどう考え、どう分けているかが分かれば、お金を考える議論につながるというところが出発点になっている。
posted at 16:38:17
B:何かの目標のためにお金を稼ぐことはどちらか。お金のために働いているか、仕事が好きで働いているひとがいる。社会貢献して、お金を得ている方を評価するが、そのお金は精神的価値をもつか。
posted at 16:42:49
進行役:宝くじで当てたお金や、いわゆる「あぶくぜに」はどうか。
S:泡銭や、うっかり、気の緩みで出ていってしまうお金。泡銭における心理的作用と、精神的価値は違う。
posted at 16:44:35
C:どういう手段で得ようが同じお金。
A:宝くじのような稼ぎ方と地道な稼ぎ方のあいだのグラデーションもある。
posted at 16:45:53
S:先物取引だけは理解できない。必要ではないのではないか。
P:資本主義というシステムが生み出してしまったもの。
B:人間は本来、経済原則から逃れられないのでは。
S:でもそれを自明の理とするのは思考停止ではないか。
posted at 16:46:47
C:人間がつくった構造、人間の思考から生まれたものは変えられるのではないか。
B:でも、経済構造は人間がつくったのか。自然とできたものではないか。
posted at 16:48:36
A:引力のようなもの?。かどうか。
S:利益を追い求める人間像から、感情や気分に流される人も考えに入れるべきではないか。
posted at 16:50:54
C:経済はこうあるべきだということを考えることができるのではないか。
posted at 16:52:33
C:ほんとは5時間くらい話して、結論のようなものを出したい。
posted at 16:54:26
P:(ここから本日の所感)お金そのものについてもっと話したいと思った。ある地域や個人レベルでお金がどのように考えられているのか。資本主義というシステムの中の貨幣だけでなく、お金そのものについて考えたい。
posted at 16:56:28
B:善悪について、論文を読んだ。あと、ニーチェの「道徳の系譜」を読んだ。
ふつう、より多くの人のことを考えることが善とされる。善は社会的なものではないか。
S:社会とたくさんの接点をもちたいということが、お金をもちたいということとつながっていると思う。
posted at 16:58:43
P:そう考えると、人間も交換できるものになってしまうのではないか。それでいいのか。
B: 「人間関係調達市場」も話題になってる評論がある。
posted at 17:00:09
B:需要と供給で人間関係は説明できるのではないか。友達が多いほうが、価値がある。

(以上)

2011年10月17日月曜日

次回の哲学カフェを11/5(土)に開催します。

次回の哲学カフェを11月5日(土)15:00-17:00に行います。
たくさんの方の参加をお待ちしております。

・テーマ:当日決定します。
※参加される方に話してみたいテーマを尋ねますので、
話したいことを考えてきてもらえると助かります。

・料金
ドリンク代のみ(併設されたカフェで、オーダーをお願いいたします。)

・会場
場所:小金井アートスポット シャト-2F(前回と同じ場所です)
(JR 中央線武蔵小金井駅南口から徒歩5分)
地図は「アクセス」のページをご覧ください。

参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。
(大体の人数を把握することが目的ですので、本名でなくてもかまいません)

お問い合わせ:koganei.philosophycafe@gmail.com

「メタ哲学カフェ」を終えて

小金井哲学カフェ進行役のやまもとと申します。

先日実施した「メタ哲学カフェ」について、進行役からの感想を簡単にまとめておきます。
なお、議事録については過去の記事をご覧ください。

今回の実感として、まず「メタ哲学カフェは十分に成り立つ」ということを感じました。
今回はいつもより一層、進行役が対話に介入することを避けましたが、
それでも、哲学カフェそのものに関して、多様な視点から対話がなされたように思います。

また、普段はあまり聞くことのできない、参加者や進行役経験者の意見や感想を
聞けたことは私たち開催者にとっても、大きな収穫だったように思います。

しかし、同時に「メタ哲学カフェ」の限界も強く感じました。
まず、参加者は基本的に哲学カフェに(程度の差はあれ)共感している方しか集まりません。
そのため哲学カフェに対して批判的な意見はあまりありませんでした。

加えて、そもそもこのような活動に興味のない方の意見は、
哲学カフェという場では聞くことができません。
「哲学カフェ」という場の意義を考えるときに、
このような声をいかにして取り込むか、ということが大きな問題になりうると思います。

(例えば、今回、あまり深く議論できませんでしたが、ある参加者の
「哲学カフェの話をほかの人にすると、
そんなところに来る人は不幸な人々の集まりなのでは、といわれる」
という発言が強く印象に残っています。)

今後、機会を改めて「メタ哲学カフェ」を再度実施する予定です。
「哲学」を名乗る以上、私たち小金井哲学カフェは、
「哲学カフェの「何が」哲学なのか」、ということをこれからも考え続けたいと思います。

これからも小金井哲学カフェにおつきあいくださるようお願いします。

小金井哲学カフェ やまもと

2011年10月10日月曜日

10/10 哲学カフェ議事録

今回の対話の内容を公開します。
ツイッター上の内容に追加でコメントなどを加えています。


posted at 14:53:56
今日のテーマは「メタ哲学カフェ」。
「哲学カフェについての哲学カフェ」という意味です。
posted at 15:05:35
(注:今回は最終的に9名の方にお越しいただきました。
このうち、哲学カフェを進行・運営されている方が2人、
哲学カフェ自体に初参加の人が3人、
哲学カフェ参加経験者が4人でした。)

進行役:まずは初参加の人に意見を伺いたいと思います。
初めて参加の方、哲学カフェにどういう動機で参加されたのでしょうか。
(初参加の方はこの時点では2人、それぞれに意見を聞いた)
posted at 15:09:55
A:自分で哲学的なことを考えるようになり、ほかの人の意見も聞いてみたいなと思ってきました。
posted at 15:10:41
B:哲学系の啓蒙書を読みながら、ほかの方がどういったことを考えているのかなと。、
posted at 15:11:40
進行役:この二人の意見に対して、何か思うことはあるか?

C:少し関係ないが、「哲学」という名を出すことへの危惧がある。知識をひけらかす人がいて、がっかりしてしまうことがある。
posted at 15:13:07
D:専門用語を使わない哲学カフェ、大阪ではじめたと聞いて知ってはいた。哲学者の言葉を勉強することが哲学ではないのでは。「哲学」という名をつけることで、どんなことをしゃべっても許されるんではないかという安心感があるのではないか。
posted at 15:15:49
進行役:どういうときが面白い哲学カフェか、体験談があれば。
posted at 15:17:09
E:自分とは違う意見があったとき。そこはそう考えるのかという発見がある。
posted at 15:17:30
D:全く違う人からいろんな意見が出たとき。全く知らない人と突っ込んだ議論ができる。
posted at 15:18:22
進行役:逆におもしろくなかった哲学カフェにまつわる経験はあるでしょうか。
posted at 15:18:47
E:自分とあまりに考え方が違いすぎて、理解できないことがある。

F:幕の内弁当のように、ちょこっとずつ議論が出てくる、ひとつの幹に集約したときはいいが、食い散らかした感じになるとき。
posted at 15:22:18
G:それぞれの論点を深められたときは、面白い。
posted at 15:22:42
進行役:おしゃべりと、哲学カフェはどう違うのか。
posted at 15:22:55
E:おしゃべりのときは話す内容自体は目的ではない。哲学カフェはどこかに向かっているような感じがする。
posted at 15:24:50
F:おしゃべりは、「ふーん」で終わってしまう。それとは違い、他人の考えを聞いて、どうしてそういう考えになるんですか、どうして違うのか、そこに突っ込んで議論になるようなものが哲学的な会話。
posted at 15:26:23
D:哲学カフェは相手がどんな人格か、全くわからない。相手のお名前も知らなくても議論ができる。
posted at 15:27:47
C:哲学カフェは、意見をまとめるというよりは、もやもやしたものを持って帰るものなのではないか。
posted at 15:28:36
F:確かに必ずしもひとつの意見に収斂していくものではない。
posted at 15:29:03
F:素性がわかっている人同士でも哲学的な議論は成り立つのではないか。
posted at 15:29:59
D:知っている相手でなければ、相手に気を使う必要がない。自分の意見を自覚することができる。
posted at 15:31:27
G:哲学カフェでは、何でもしゃべれる保障があるように思える、なぜ「哲学」でなければならなかったのか。
posted at 15:32:01
D:カウンセリングとは違う、自分自身で解決するための「哲学」。
posted at 15:33:47
D:言葉によって自分が生きているという実感を得られる。
posted at 15:34:13
F:「カントがこう言っていた」というのは知識の押し売りなのだろうか。哲学的な知識として身に付けてもいいんではないかという意見もあると思う。
posted at 15:35:21
C:哲学者の発言をもちいることについて、ある程度自分のものとして咀嚼されていればいいかもしれないが、本人が意図していなくても、相手が萎縮する可能性があるのではないか。
posted at 15:37:24
D:哲学者の言葉について、長く生きてくるとわかることが、先人の言葉でうまくまとめられることもある。ただ、勉強してない、知らない自分と相手を比較する必要はない。たまたまその人の考えていたことと先人の言葉が一致したというだけ。
posted at 15:39:54
G:哲学のイメージの調査についてアンケート調査を行なった。哲学者の言葉は難しくて、よそよそしいというイメージ。
posted at 15:41:12
G:哲学については、よく考え込まれた思考が「答え」のようなイメージがある。カントは、自由についてものすごく考えている人というだけなのだが。
posted at 15:43:20
A:ある言葉、キーワードがどういう意味をもっているのかをわかるのは後で自分で勉強を深めるためにうれしいということはある。
posted at 15:44:43
F:カントの自由の考え方について語ることもできるが、そもそもカントはなんで自由を語ったのかというもう一つ深い議論も哲学カフェではできる。
posted at 15:45:24
G:本読むのも他人の意見を聞くことだが、こうして話すことの意義は何か。すぐにレスポンスがあることはひとつあると思うが。
posted at 15:46:36
E:本を読むときは明確な目的をもっているのでは。哲学カフェには何か明確な目的をもってきているか。
posted at 15:47:07
E:哲学カフェでは、他人の意見がわからなくても一度投げてしまってもいい。
posted at 15:47:38
D:話す訓練の場でもある。2回目、3回目来たときを見据えつつ、相手の気持ちをわかるために。
posted at 15:50:43
D:ルールがあるから安心できる。しゃべらないで聞いているだけでもいい。
posted at 15:52:00
F:二つの側面。哲学カフェで受動的に聞くだけだとしても、本では得られない思わぬ出会いがある。また、本で読んだり、話を聞いて、それについて意見を吐き出せる場でもある。
posted at 15:54:16
H:話し言葉は意味がつかみづらい。その場で考えて、考えを組み立てて。対話は体力勝負だということに気づいた。最後は頭が回らない。本は何度も立ち止れるが。
posted at 15:56:06
G:2時間以上やるとファシリテーターの集中力がもたないようなことはある。
posted at 15:56:42
B:ひとりのときは固定概念からは絶対でられない。ニーチェは読むけど、カントは読まない。
posted at 15:57:44
F:2chとは何が違うのか。インターネット上の匿名の場。気に入らなければレスポンスをしなくてもいい。
posted at 15:59:37
F:フェイストゥーフェイスだと、意見が違うとしても逃げられない。それを認めないといけない。
posted at 16:00:15
F:ネットだと時間的制約もないからだらだらと続いてしまう。
posted at 16:02:13
記録者:哲学カフェにどんな人に来て欲しいか。
posted at 16:02:37
I:偉そうじゃない人。哲学者の言葉を要約しない人。
posted at 16:04:39
A:普段は非常に偏った人としか付き合っていない。いろんな職業の人と意見を語り合いたい。
posted at 16:05:05
I:本を読むよりも、話すことで考えが活性化する。
posted at 16:06:42
G:専門用語を使わない方がいいのだが、定義がしっかりしている専門用語の方が共通理解からスタートできるから近道かもしれない。
posted at 16:11:02
G:法学について語るカフェを見に行ったが、日常用語と全然違う意味をもった専門用語を使った法学の議論から抜けられないでいた。
posted at 16:12:17
C:もやもやしたものを抱えて来ている人が集まってほしい。
posted at 16:13:05
G:自分の意見が正しいということを根本的に考え直す機会を与えてくれるようなひと。
posted at 16:14:00
F:哲学カフェにも知識がある大学人がいて、違う世界へ連れていってくれるようなこともあるかもしれない。
posted at 16:14:44
G:日本のサイエンスカフェでは、ただのセミナーにならないようなバランスが難しい。素人でも専門家と対話ができることが必要。哲学カフェも同じ。
posted at 16:16:56
G:哲学カフェは、政治やサイエンスカフェと何が違うのか。
posted at 16:20:02
D:悲しい人、さみしい人が集まっているのではないかと言われた。哲学カフェのことをどう説明すればいいのか。

進行役:学校で哲学カフェをやりたいという話があった。道徳の授業と哲学カフェの違いは何か。
posted at 16:22:24
F:学校の中で哲学カフェをやるときの問題点。生徒は教師が、親が期待する答えしか言わないのではないか。
posted at 16:24:06
G:ほんとになんでも有りだと困るよねという意見もある。しかし道徳の授業で、規則は規則だ、決まりは決まりだと言われて身につくのか。哲学的に考える中で、ある程度腑に落ちたことで身につくこともあるのではないか。
posted at 16:25:16
F:個人の匿名性が守られている哲学カフェ。成績がつく学校教育。教育の中で哲学カフェを考えることの難しさがある。
posted at 16:26:30
進行役:哲学カフェでの発言は本当に自由か。哲学カフェで、極端な意見を聞いたことがない。
posted at 16:27:56
F:暗黙の自制心を要求されていることはある。例えば、生々しい性行為の情景。
posted at 16:30:09
E:被災地での被災者が集う哲学カフェから哲学カフェを知った。ただ、その場でも被災者はお互いを気遣って、自分はそんなに被災していないというようなことを言っていた。
posted at 16:31:17
進行役:哲学カフェはおしゃべりの域を出ていないのではないか。専門用語を使わない、近道を通らない、毎回参加者が違うということで、議論が毎回深まらずに終わってしまうような印象もある。
posted at 16:32:36
C:毎回違う人とやることで思いがけないことが起こることもあるかもしれない。
posted at 16:34:22
H:おしゃべりとあまり変わらない気持ちで臨んでいる。
posted at 16:34:42
A:刺激を受けて、本を読んだりして深めていくようなことはある。

F:進行役としてもそういったことを望んでいるような面がある。自分自身もテーマを与えられることで勉強する機会をえている。
posted at 16:34:58
G:これだけの人数から2時間という枠で刺激を与えられることには、本にはないものがあるのではないか。
posted at 16:37:45
D:自由など何かテーマについて、自分の中で考えるためのエネルギー。自分の言っていることに責任をもつ強さを哲学から教えてもらう。
posted at 16:40:21
F:哲学カフェは2時間でたくさんの刺激があるというメリットはあるが、2時間だとテーマについて深堀できないというジレンマもある。批判者から見るとそこに限界があるかもしれない。
posted at 16:42:16
F:参加者が違った方面で知識をもってると、いろんな意見が出てくるのではないか。
posted at 16:44:43
G:専門用語で言わなくてもできる器量をもった大学人がなかなかいないのではないか。
posted at 16:46:24
H:哲学カフェで、議論の中で何がわからないのかもわからないことがある。何がわからなかったのかを特定できればいいのにと思う。
posted at 16:47:09
F:司会者の立場からすると、わからなかったときは言って欲しい。
posted at 16:49:21
F:どんなことを哲学カフェで議論したいか。
posted at 16:50:17
E:「教える」とはどういうことか。
posted at 16:50:28
I:自分の意見を相対化してしてしまうジレンマ。みんなそれぞれ正しいんじゃないのという。人それぞれなんだけど、わざわざ議論したいと思うのはなんでなのか。
posted at 16:53:01
I:表現しても意味ないかもしれないことを表現してしまうこと。
posted at 16:55:25
F:議論の根っこにある、賛成と反対に分かれるもとにある考え方は何か。例えば、原発に関する議論で賛成は功利主義的、反対は義務論的、互いがそういう立場に立っているんだということがわかることが哲学カフェのひとつの意義ではないか。
posted at 16:56:36
I:根っこまで議論を深めていくにはどうしたらいいのか。途中でどちらかが逃げてしまわずに。
posted at 16:57:59
G:例えば、「美しさ」は直感的なものか。でも、芥川賞の審査など、ある程度みてる人の間ではだいたい一致することもある。
posted at 17:01:29
今日は9名の方にお越しいただきました。様々な論点が出てきました、お集まりいただいた方、どうもありがとうございました。
posted at 17:02:29

2011年9月22日木曜日

次回の哲学カフェを10/10(月・祝)に開催します!

次回の哲学カフェを10月10日(月・祝)に実施します。
今度は、より実験的な対話を目指したいと思います。
たくさんの方のご参加をお待ちしております。

日時:10月10日(月・祝) 15:00-17:00
テーマ:「メタ哲学カフェ」
「メタ○○」とは、簡単に言えば、「○○についての○○」という意味です。
例えば「メタ認知」は「自分の認知についての認知」を意味します。
つまり、「メタ哲学カフェ」とは「哲学カフェについての哲学カフェ」ということになります。

哲学カフェは「哲学」なのか?参加者はどのような動機で参加するのか?
一人で考えることと、対話の中で考えることは何が違うのか?
そもそも、ここはどのような「場」なのだろうか?何が生まれるのか?
そのような問題を話し合う場としての「哲学カフェ」も成り立つのではないかと思いました。

哲学カフェを運営している方、または参加されてる方で、このような疑問をお持ちの方もいらっしゃると思います。
あるいは、「哲学カフェ」という場に批判的な方も多くいらっしゃると思います。
そのような方も含めて、一度「哲学カフェ」についてじっくり語り合いませんか。
(もちろん、初めての方も歓迎です。)

・料金
ドリンク代のみ(併設されたカフェで、オーダーをお願いいたします。)

・会場
場所:小金井アートスポット シャト-2F(前回と同じ場所です)
(JR 中央線武蔵小金井駅南口から徒歩5分)
地図は「アクセス」のページをご覧ください。

参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。
(大体の人数を把握することが目的ですので、本名でなくてもかまいません)

お問い合わせ:koganei.philosophycafe@gmail.com

9/10 哲学カフェ実施報告

9/10に、「ふつう」って何だろう?というテーマで哲学カフェを開催しました。

会場が急きょ変更になり、それに伴いツイッターでの配信もできずご迷惑をおかけしました。
以下、内容の要点です。

・一口に「ふつう」といっても、いろんな意味がある。
・「ふつう」が肯定的な評価で用いられることもあれば、否定的に用いられることもある。
・少数派が「ふつう」といえる状況もあるのではないか。(例:世界中の多くの人が吸血鬼になってしまったら)
・肯定的な評価の時は、規範的な意味を含んでいるのではないか。
・「ふつう」には、ある制限を除去した、あるいは、ある特徴を持ったもの「以外」という意味もあるのでは。(高校の普通科、普通選挙など)
・英語などでは「ふつう」はたくさんの言葉で語られるが(ordinary normal usual etc.)
 日本語の「ふつう」はそれらの意味を含んでいるのでは。

次回の小金井哲学カフェにご期待ください。

2011年8月20日土曜日

哲学カフェを9/10に開催します。

次回の哲学カフェは9/10(土)に決まりました。
(9/1 テーマが決まりました!)

・テーマ:「ふつう」って何だろう?

・日時:9/10(土)15:00-17:00

・料金
ドリンク代のみ(併設されたカフェで、オーダーをお願いいたします。)

・会場
場所:小金井アートスポット シャト-2F(前回と同じ場所です)
(JR 中央線武蔵小金井駅南口から徒歩5分)
地図は「アクセス」のページをご覧ください。

参加申し込みは以下のフォームからどうぞ。
たくさんの方のご参加をお待ちしております。
お問い合わせ:koganei.philosophycafe@gmail.com

2011年8月14日日曜日

8/13 哲学カフェを開催しました。

8/13(土)に「疲れていますか?」というテーマで哲学カフェを開催しました。

今回は、「疲れている」ということはどういうことなのか、
ということについて日常の経験を語り合い、対話を行いました。
そして最後に、「疲れている」状態の定義をみんなで考えてみる、という作業を試みました。
(詳しい形式は後日「過去の内容」に公開します)

結果出てきた定義は「ズレがあるがゆえに、うまく回っていない状態」という興味深いものでした。
また、進行役にとしては、「疲れる、ということは幸せなこと」という参加者の発言が心に残りました。

詳しい対話の内容は、ツイッターのタイムラインをご覧ください。

今回は13名の方に集まっていただきました。
(会場の空調が故障していたため、参加者の方々には大変ご迷惑をおかけしました。)
今後も小金井哲学カフェをよろしくお願いいたします。





2011年7月16日土曜日

哲学カフェを8/13(土)に開催します!

次回、8/13(土)15:00-17:00に哲学カフェを開催します。
哲学の知識などは全く必要ありません。
どうぞお気軽にご参加ください。

・テーマ
「疲れてますか?」

・日時:8月13日(土) 15時~17時

・料金
ドリンク代のみ(併設されたカフェで、オーダーをお願いいたします。)

・会場
場所:小金井アートスポット シャト-2F(前回と同じ場所です)
(JR 中央線武蔵小金井駅南口から徒歩5分)
地図は「アクセス」のページをご覧ください。

・参加申し込みは以下のフォームから。


・お問い合わせ
ご質問、問い合わせなどはお気軽にどうぞ。
メールアドレス:koganei.philosophycafe@gmail.com(担当:やまもと)

2011年7月12日火曜日

7/9 哲学カフェ実施報告

7/9(土)に哲学カフェを実施しました。
梅雨明けの非常に気温の高い中、
今回は計6名の方にお越しいただきました。
今回は、対話の内容を進行役が紙に書き、
議論の内容に応じてホワイトボードに張り付け、整理する形式をとりました。
また、前回同様ツイッターでのリアルタイム配信を実施しています。
詳しくはツイッターの書き込みが議事録に近いものになっております。
koganeiphilcafeをフォローしましょう

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